Ainu

Publié le par Tiger LEE

The Ainu (a word meaning "human" in the Ainu language; Ezo, or Yezo, (蝦夷) in old Japanese; Utari now preferred by some members) are an ethnic group indigenous to Hokkaido, the northern part of Honshu in Northern Japan, the Kurile Islands, much of Sakhalin, and the southernmost third of the Kamchatka peninsula. There are over 150,000 Ainu today, however the exact figure is not known as many Ainu hide their origins or in many cases are not even aware of them, their parents having kept it from them so as to protect their children from racism.

アイヌ日本先住民族の一つ。かつて東北北海道千島樺太などに広く居住していた少数民族。樺太・千島のアイヌは第二次世界大戦後にその殆どが当地を占領したソビエト連邦政府によって北海道へ強制送還されたが、現在も樺太には少数ながら住んでいる。

History

The origins of the Ainu are uncertain. Although their traditional homeland has been inhabited since the end of the last ice age, it is impossible to track the movements of the peoples of Northeastern Asia until well after the beginning of the historical period. At first, contact with the Japanese people was friendly and both were equals in a trade relationship. However, eventually the Japanese started to dominate the relationship, and soon established large settlements on the outskirts of Ainu territory. As the Japanese moved north and took control over their traditional lands, the Ainu often gave up without resistance, but there was occasional resistance as exemplified in wars in 1457, 1669, and 1789, all of which were lost by the Ainu. Japanese policies became increasingly aimed at reforming the Ainu in the Meiji period, outlawing their language and restricting them to farming on government-provided plots. Ainu were also used in near-slavery conditions in the Japanese fishing industry. Japan used to called the Ainu's home island "Ezo", but changed the name to "Hokkaido" during the Meiji Restoration.

The Ainu are now governed by Japanese laws and judged by Japanese tribunals, but in former times their affairs were administered by hereditary chiefs, three in each village, and for administrative purposes the country was divided into three districts, Saru, Usu and Ishikari, which were under the ultimate control of Saru, though the relations between their respective inhabitants were not close and intermarriages were avoided. The functions of judge were not entrusted to these chiefs; an indefinite number of a community's members sat in judgement upon its criminals. Capital punishment did not exist, nor was imprisonment resorted to, beating being considered a sufficient and final penalty, except in the case of murder, when the nose and ears of the culprit were cut off or the tendons of his feet severed. Intermarriages between Japanese and Ainu are not infrequent, and at Sambutsu especially, on the eastern coast, many children of such marriages may be seen.

Today, many Ainu don't like the term Ainu and prefer to identify themselves as Utari ("comrade" in the Ainu language). In official documents both names are used.

アイヌの意味と位置

アイヌとはアイヌ語で「人」を意味する言葉。アイヌの社会では、アイヌという言葉は本当に行いのいいアイヌにだけ使われた。丈夫な体を持ちながらも働かず、生活に困るようなアイヌは、アイヌと言わずにウェンペ(悪いやつ)と言う。

現在、アイヌの大部分は北海道に住んでいるが、北海道を離れて生活するアイヌも、けっして少なくは無い(東京周辺だけでも北海道在住アイヌの一割を超えていると思われる)。

中世以降、日本人はアイヌを蝦夷(えぞ)、北海道を蝦夷地と称してきた。北方の民族からはクギなどと呼ばれてきた。
大和朝廷の「蝦夷征伐」など、古代からの歴史に登場する「蝦夷(えみし)」、あるいは「遠野物語」に登場する「ヤマヒト(山人)」をアイヌと捉える向きもあり、アイヌを東北地方以北の全土(飛躍した説では琉球までを含む日本全土)に住んでいた原日本人の一つする説もある。
起源論や日本人との関連については考古学文化人類学医学言語学などの知識を総動員しても未だ結論が出ていないが、彼らの祖先は日本人と同じように縄文人の一部を形成し、続縄文文化、擦文文化を経てアイヌ文化の形成に至ったことが明らかになっている。彼らの祖先が、いつの時代からか東北地方に住んでいたことは、地名に残るアイヌ語の痕跡、文化(イタコなど)、言語の遺産(またぎ言葉、東北方言にアイヌ語由来の言葉が多い)などから確実である。

江戸時代には松前藩がおもにアイヌの人々と交易を行っていた。 当時、アイヌは大和民族、あるいは日本人のことを「シサム」、「シャモ」と呼称。シサムは隣人という意味のアイヌ語で、シャモはその変化形の蔑称であるといわれる。また、和人とも。

歴史

縄文時代 (Jomon Jidai)

アイヌは縄文人と深い関係にあると考えられており、縄文式土器も数多く出土している。

続縄文時代

本州で縄文時代が終わり、弥生時代が訪れた後も、渡来人の影響のなかった北海道では縄文時代が続いて、独特の文化を形成した。生活は縄文時代同様に狩猟採取と漁労だったが、縄文とは言え石器が中心で、を加工した木器、動物の骨で作った骨角器も使用した。また縄文土器には独特の文様が彫られ、これは後のアイヌ文様の下になったと考えられる。時代前半では地域による差異があったが、後期には北海道全体で統一された文化となり、本州の東北地方にも及んだ。

擦文文化

続縄文時代を経て、7世紀頃に土師器が本州から伝わると石器は姿を消し、変わりに器文化が形成された。土器と鉄器を混用し、カマド付き竪穴式住居なども建てられている。狩猟・漁労のほか、蕎麦の栽培が行われたが、地域によって差異が発生した。「比較的」温暖な道南では農耕が行われたが、道東では漁業が中心となった。日本海沿岸・石狩川流域では半農半漁といったところである。また小規模だが古墳(北海道式古墳)も製作され、指導者か支配者に相当する人物がいたことも伺える。

本州の蝦夷討伐

本州では7世紀ごろから大和国を中心とした中央集権国家が芽生え、周辺地方への勢力を拡大しようとした。続縄文時代であったと推測される東北への進出もこの頃からである。

  • 7世紀 東北地方に陸奥国設置。
  • 655年 蝦夷が朝廷に服属。
  • 658年 阿倍比羅夫、東北の蝦夷を影響下におく。
  • 712年 出羽国設置。
  • 724年 藤原宇合が蝦夷を討つ。
  • 774年 大伴駿河麻呂が蝦夷を討つ。
  • 789年 朝廷軍、蝦夷に敗れる。
  • 794年 大伴乙麻呂が蝦夷を討つ。
  • 797年 坂上田村麻呂が鎮守府征夷大将軍となる。
  • 801年 坂上田村麻呂、蝦夷を平定する。
  • 802年 陸奥に胆沢城を置く。
  • 803年 陸奥に志波城を置く。
    • アテルイの乱 アテルイとモレに率いられた蝦夷が朝廷に反乱。朝廷は789年に5万の軍を送って制圧を試みるが敗北。797年に坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じて蝦夷掃討を命じ、4万の軍を率いて数度の激戦の末に鎮圧した。802年に胆沢城を建てるとアテルイが軍勢とともに降伏。坂上田村麻呂は朝廷に勇士アテルイとモレの助命を嘆願したが、朝廷は受け入れず二人を河内国で処刑した。
  • 811年 文屋綿麻呂が蝦夷を討つ。

オホーツク文化

10世紀前後、北方の海洋狩猟民族が北海道のオホーツク海沿岸に居住した。彼らは海洋哺乳類魚類を狩猟して生活し、熊送りなどの儀式も発達していた。擦文文化時代(上記)のアイヌとも交流があり、アイヌも彼らの生活に影響を受けたと考えられるが、アイヌが擦文文化からアイヌ文化へと飛躍した13世紀頃、北海道から忽然と姿を消した。

アイヌ文化

 南方の和人との交易によって和風文化を取り入れ、13世紀頃に成立したと考えられる。樺太アイヌは北方のツングース系民族とも交流があり、それを介して大陸の中華王朝とも関係を持った。アイヌの文化と生活を参照せよ。

和人の進出

  • 15世紀 和人が蝦夷地南部12箇所に勢力を張る。道南十二館(どうなん じゅうにたて)という。勢力を張った和人土豪はアイヌとの交易や漁場への進出を通して成長する。
  • 1457年 コシャマインの蜂起。アイヌの首長コマシャインが和人の蝦夷地進出に対して蜂起する。花沢館の館主である蛎崎氏の客将、武田信広が制圧し、蛎崎家を相続すると、道南十二館を統一して蝦夷を単独領有した。
  • 蛎崎家はその後、豊臣秀吉からも所領安堵されて蝦夷島主となった。さらに幕府からアイヌとの交易独占を認められ、それからは「松前氏」と名乗った。松前藩の支配下におかれてから、松前商人が不平等な交易をするようになったため、アイヌの不満は高まり、蜂起にいたった。
  • 1669年 シャクシャインの蜂起 首長シャクシャインが日高から釧路にかけての広範囲で、アイヌを率いて蜂起した。反乱の途中でシャクシャインは謀殺されたが、蜂起は1672年まで続いた。
  • 1789年 クナシリ・メナシの戦い 国後と目梨でアイヌが反乱を起こしたが、鎮圧された。これまでの蜂起鎮圧によって、逆に和人の蝦夷地内陸部への進出が進んでしまい、蝦夷全島が松前の支配下に置かれ、アイヌは松前藩に服属した。
  • 18世紀後半からロシアが蝦夷地に訪れる。
  • 1798年 近藤重蔵が東蝦夷を探検、択捉島に「大日本恵土呂布」の標柱を立てる。
  • 1799年 東蝦夷地を幕府が直轄化。
  • 1800年 伊能忠敬が蝦夷を測量。
  • 1801年 最上徳内や富山元十郎などが千島列島得撫島を探検し、「天長地久大日本七属島」の標柱を立てる。
  • 1802年 蝦夷奉行を置く。後に箱館奉行となる。
  • 1807年 西蝦夷地を幕府直轄化。箱館奉行を廃止し松前奉行を置く。
  • 1808年 間宮林蔵樺太を探検。
  • 1821年 蝦夷地を松前藩に返還する。
  • 1854年 日露和親条約締結、蝦夷地が日本領、得撫島以北の千島列島がロシア領に決まる。樺太の領属は棚上げし、両国民の雑居地となる。
  • 1868年 明治維新
  • 1869年 蝦夷地を北海道と改称し「開拓」開始。屯田兵などが全島に入植。
  • 1870年 樺太開拓使を置く。
  • 1875年 ロシアと樺太・千島交換条約締結。日露住民の紛争の絶えなかった樺太をロシア領、千島列島全域を日本領とする。以後、占守島などにいた千島アイヌ全員を色丹島に強制移住させる。後に千島アイヌは病気や気候の変化などで体を壊し、絶滅した。
  • 1876年 「鹿猟規則」によりアイヌの伝統的猟法が禁止され、以降、本土のハンターが流入。
  • 1899年 北海道旧土人保護法
  • 1905年 日露戦争に日本が勝利。ポーツマス条約によって樺太の南半分を日本が領有。
  • 1945年 8月8日 ソビエト連邦が、日本に宣戦布告し、樺太南部や千島列島に侵攻し、占領した。それに伴いこの地域に在住していたアイヌは強制送還された。
  • 戦後、行き場の無い復員兵や満州引揚者の送り先として北海道開拓が挙げられ、北海道開発庁を設立。北海道の人口が急増。
  • 1952年 サンフランシスコ講和条約締結。日本が樺太と得撫島以北の千島列島を放棄。
  • 1997年 アイヌ文化振興法 (アイヌ新法)

Sources :

http://ja.wikipedia.org/wiki/アむヌ

 

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